プログラミング不要で「動くもの」が作れる時代の、たった一つのAIリテラシー

昨今のAI技術の進化は目覚ましく、プログラマー自身が手動でコードを記述して開発を行う機会は減少傾向にあります。 AIエージェントによる入力支援を活用したり、「Webサイトを作って」と指示を出したりすれば、ある程度の水準のものは自動的に生成されるようになりました。

しかし、それはあくまで「ある程度」の完成度や表面的な動作に限られるという点は認識しておくべきでしょう。 もちろん、AI自体は業務における開発効率を飛躍的に向上させる極めて有用なツールであり、積極的に活用していくべきであるという点に疑いの余地はありません。

ただ、便利さと引き換えに失われつつある、開発者として最も重要なリテラシーがある。 それは、情報の取り扱いやハルシネーションのチェックといった一般的なネットリテラシー以前の、「自分が生み出したものへの責任(オーナーシップ)」だ。

今回は、AI時代にシステムを作る人間が絶対に守るべき、たった一つの規範について言語化しておきたい。


ブラックボックスを作らない

AIリテラシーの核心は、これに尽きる。 「自分が理解できないコード、1行ずつ説明できないスクリプトを、本番環境にデプロイしてはいけない」

AIに指示を出せば、驚くほど簡単に「動くコード」が出力される。しかし、ここで思考停止してはいけない。 「AIが書いたから動くはず」「中身はよく分からないけど動いているからヨシ」とする姿勢は、リテラシー欠如というより、エンジニアリングにおける「怠慢」に近い。

なぜなら、「動く」ことと「運用し続けられる」ことは、全く別物だからだ。

なぜ「理解」を放棄してはいけないのか

「AIが書いたから分かりません」という言い訳が通用しない理由は、主に以下の3点にある。

  1. 技術的負債の即時発行
  2. トラブルシューティングの不能化
  3. スキルの空洞化

1. 技術的負債の即時発行

システムは「作った時」が完成ではない。むしろ、そこからがスタートだ。 仕様変更、ライブラリのアップデート、予期せぬバグへの対応。これらが必要になった時、中身を理解していないシステムは、その瞬間に「触るのも恐ろしいブラックボックス」と化す。

AIを使って楽をするのは良いが、中身を理解することを放棄して実装することは、未来の自分(あるいはチームメンバー)に対して、莫大な技術的負債を背負わせる行為でしかない。システムが止まった時、AIは直しに来てくれないのだ。

2. トラブルシューティングの不能化

エラーが発生した際、構造を理解している人間なら「ここが怪しい」と当たりをつけられる。 しかし、AIに全てを委任していた場合、エラーログをまたAIに投げ、返ってきた修正案をまた盲目的に貼り付ける……という「コピペの無限ループ」に陥る。

確かに、AIにエラーを投げ続ければ、運良く解決策が提示され、その場は動くようになるかもしれません。 しかし、それは開発ではなく、単なる「あてずっぽう」のサイコロを振っているに過ぎません。 「なぜ直ったか」を理解せずに適用した修正は、新たなバグの種になり、次に問題が起きた時には完全な手詰まりとなります。

AIの出力したコードに脆弱性がないか、無駄な処理がないか。それを人間の目で査読(レビュー)できる状態にしておくことが、システムを堅牢に保つ最低条件となるのです。

3. スキルの空洞化

これが最も個人のキャリアに関わる問題だ。 AIに答えだけを求め、プロセス(なぜそのコードになるのか)の理解をスキップし続けると、いつまで経っても「自力で考える力」が身につかない。

AIは「優秀な助手」にはなり得ますが、全幅の信頼を置く「師匠」とするには危うい側面があります。 もちろん、AIが生成したコードの意味が不明瞭な場合、AI自身に解説を求めること自体は有効な手段です。しかし、あくまで「助手が出してきた成果物と説明」を、師匠である自分が評価し、採用の可否を判断するという構造を崩してはいけません。この主従関係を逆転させてはならないのです。


「動くもの」ではなく「理解したもの」を作る

では、具体的にどうすべきか。 答えはシンプルで、AIが出力したコードに対して「これはどういう意味?」と問い返すことだ。

  • この関数は何のためにあるのか?
  • なぜこのライブラリを選んだのか?
  • この設定値にはどういう意図があるのか?

AIにコードを書かせるだけでなく、AIにコードの解説をさせる。 そして、自分自身の言葉でそのシステムの挙動を説明できる状態になって初めて、それを実装する。

まとめ

プログラミングの敷居が下がった今だからこそ、「作る人」の倫理観が問われている。

ネット上の情報を鵜呑みにしないとか、機密情報を漏らさないといったことは、もはやAI以前の常識だ。 私たちが真に向き合うべきAIリテラシーとは、「自らの手でコントロールできないシステムを生み出さない」という、ものづくりへの誠実さそのものなのかもしれない。

AIを使い倒そう。ただし、主導権は常に人間が握り続けること。 それが、技術者として、あるいは「何かを作る人」としての誇りだと思う。

追記:この記事の執筆プロセスについて

実のところ、この記事自体もAIに生成させたものだ。

ただし、私の思考を丸投げしたわけではない。 「ブラックボックス化に対する危機感」や「責任原則の重要性」といったコアとなる主張(オピニオン)は私が提示し、AIにはそれをブログ記事として読みやすく要約させ、論理を補強する役割を担ってもらった。

AIが出力した文章を私が監修し、自分の言葉として責任を持てる内容であることを確認してから公開している。 これこそが、本文中で述べた「主導権は人間が握る(理解した上でAIを使う)」の実践例である。

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